精華の農業は、どうなるんだろうか?といつも考えている。 1点目は、専業で「食べていける」農業経営は。2点目は、担い手の確保(後継者)は、3点目は、荒廃地をどうするのか。 この3点は、相互に負の連鎖で繋がっていると思っている。 一部を除くほとんどの農家は、農地(耕作地)が少なく、農業では「食べて行けない」だから働きに出る。昔は、鉄道会社(夜勤が多いからあくる日は休み)に勤めながらコメや野菜を作る農家が多かった。トラックターなど農業機械はそのサラリーで購入する。定年退職後は、農業を主な仕事となる。 退職後、農作業で身体が動く間は、農業をする。後継者がいないならば、できる人に依頼して耕作してもらう。依頼する人がいない。また、農業機械の入りにくい農地や、軽トラックの横付けできない農地は引き受け手がなく荒廃地になってしまう。 精華町は、これと言った特産品がない。「イチゴ」を盛んに精華町ブランドで観光のいちご狩りと結び付けて育成に力を入れている。また、補助をしているが、ここも担い手不足などで悩んでいると聞く、大きく発展する要素が少ない。 担い手・働き手を確保することは、一年間の平均的に仕事(収入)がなければ人は集まらない。一年間を通じて働ける環境(農作業の年間平準化)の確保が必要で、年間を通じて農作業ができる特産品の開発に取り組むことが大事だと思う。 また、待遇面は、会社組織などにして、若者に魅力ある農業にする。また、小さな耕作地をまとめて作業しやすい効率的な運営をする必要がある。若い人の知恵や力を借りて安定的経営を目指す必要性がる。 精華町の産業振興課や農業委員会(農業委員・農地利用最適化推進委員)、農地中間管理機構、JAがタッグを組んで精華町の自給自足の「食」を確保する。そのために、大胆で緻密な施策を打って、農業を維持発展させ、目の前にある課題に取り組まなければならない瀬戸際であると考える。 2月12日付の農業新聞に、超高齢夫婦の離農の記事が載っている。お子さんが、農業規模拡大で失敗し離農。本人は85歳の高齢で老化して「老農は死なず消えていくのみ」と離農。